日の本(ひのもと)の光を見せて遥かなる 唐土(もろこし)までも春や立つらん
細川幽斎の歌
16世紀における世界最大の戦であった「朝鮮出兵/文禄・慶長の役」。
1592年正月5日、豊臣秀吉は朝鮮経由での明国侵攻命令を諸大名に発した。
細川幽斎(ゆうさい)が詠んだとされるこの歌は、秀吉やその側近衆の想いを表したものだったのでしょう。
1592年3月の出陣から1598年8月に秀吉が亡くなるまでの数年ですが、名護屋(現佐賀県唐津市鎮西町名護屋)の地は、突然出現した城を中心に、九州で最も商業活動が活発な街だったのです。
そんな名護屋城跡を今回はご紹介します。
名護屋城跡
北は陸奥から南は薩摩まで、日本各地から30万人近い将兵が動員された「文禄・慶長の役」。20数万人が朝鮮へ渡り、残りの数万人が、この名護屋城周辺に待機し、戦況を見守っていました。
周辺には徳川家康、伊達政宗など有名武将の陣跡もたくさんあります。

そんな歴史的にも重要な名護屋城跡ですが、福岡空港から約75km。海沿いの景色も美しく、車で1時間30分ほどの距離の為、築城後420年ほど経った現在はドライブコースとしても人気のスポットとなっています。

当時の建物はさすがに残っていませんが、大きな石垣はしっかりと在り、太閤秀吉の力の大きさを今に伝えています。秀吉公もここを歩いたんだなぁ・・・。



この海の向こう側を見つめ太閤秀吉は、何を思っていたのでしょうか。
明へ侵攻し、土地を部下へ分配するためだけだったのでしょうか?
アジアの皇帝になりたかったのでしょうか?
「朝鮮出兵/文禄・慶長の役」により、スペインは、日本の軍事力、そして日本人を好戦的な民族と認識し、日本侵略をやめたという説もあります。アジアへ押し寄せるヨーロッパから日本を守るという一面もあったのかもしれません。
ポルトガルの宣教師フロイスは、織田信長が死去した際の報告書に「織田信長は、日本統一の後、明を征服し、国々を部下へ分け与える発想をもっていた。」と記しています。
もしかしたら、太閤秀吉は、大切に思っていた信長公の思いを果たそうとしたのかもしれません。
- 名護屋城跡
- 住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931ー3
- 駐車場:名護屋城博物館 58台無料
佐賀県立 名護屋城博物館

名護屋城跡に併設して佐賀県立 名護屋城博物館があります。名護屋城跡見学後に入館されると良いのではないでしょうか。


名護屋城があった当時の模型や、「文禄・長慶の役」に関する、日本と朝鮮の資料。
日本と朝鮮の交流の歴史資料等が展示してあります。
資料に多少の偏りはありますが、本で知る知識とは別の角度で考えさせられる事が多くありました。
しかも無料で見学できることに驚きです。
- 佐賀県立 名護屋城博物館
- 住所:佐賀県唐津市鎮西町1931−3
- 入館料:無料
- 駐車場:58台無料
- 開館時間:9〜17時
- 休館日:月曜日(祝休日の際はその翌平日)年末年始12/29〜1/3
呼子のイカはイカの王様

名護屋城跡から約6km。車で15分ほどの場所に呼子(よぶこ)があります。
名護屋城跡でたくさん歩いたあとは、呼子でお食事をお勧めします。
美味しいイカのお店がたくさんありますが、今回は河太郎 呼子店さんでいただきました。
福岡市内でも呼子のイカは味わう事ができますが、呼子で食べるイカの方が美味しかです!!
イカさんは、めちゃくちゃデリケートですから、ちょっとした振動なんかでもストレスを感じ味が落ちます。

活き造りのあとに、ゲソは天ぷらにしてくれるんです。
ご飯がとまりません。子供の頃は、この天ぷらが一番楽しみでした。
イカシューマイもホワホワで追加注文までしてしまいました。
皆さんも佐賀県唐津市の歴史とグルメの街に行かれてみてはいかがでしょうか。
- 河太郎 呼子店
- 電話:0955-82-3208
- 住所:佐賀県唐津市呼子町呼子1744ー17
- 営業時間:月〜金 11〜20:30 土日祝 10:30〜20:30 (L.O19:00)
- 定休日:水曜日・お盆・年末年始
- 駐車場:50台無料