達磨大師の教え。理想の人の在り方とは
気は長く、心は丸く、腹を立てず、
人は大きく、己は小さく。
〜達磨(だるま)〜
この言葉は、達磨大師(だるまだいし)が理想の人の在り方を述べたものです。
イライラ、せかせかと短気を起こさず、ゆったりと構え、穏やかに人と接し、怒ったりせず、他人を立て、自分は控えめでいる。というような意味でしょうか。
簡単なことではないでしょうが、こんな心の大きな人ってかっこいいですね!!
こういう生き方ができるようになれば、余計なストレスに悩まされず、心穏やかに日々の生活を送れそうですね。
達磨大師ってどんな人?

インドの王子として生まれ(6世紀ごろ)、仏教を学び、僧侶としてインドから中国へ禅を伝えたのが達磨大師(だるまだいし)です。インド名はボーディダルマ。
達磨大師は中国に渡り、最初に梁の武帝(りょうのぶてい・464年〜549年)に会い問答をしています。梁の武帝は、南朝文化の黄金期を作り出した文化人でもあり、仏教にも深い造詣があったようです。
以下は達磨大師と武帝の問答です。
武帝は「朕(ちん)は即位して、多くの寺院を建立し、経典を書写し、僧尼たちを得度(出家)させてきた。これらには、どのような功徳があるのであろうか。」と尋ねます。
達磨大師は「功徳などは煩悩(ぼんのう)を増やすだけの事。これらの行為に功徳などありません。」と武帝の予期せぬ答えを返します。
武帝は質問を変え「では聖なる根本の真理とは何か?」と問います。
達磨大師は答えます「この世はがらんとした空であり、聖も俗もありません。」
さらに武帝は問います「しからば、朕の前にいるお前は誰か?」
達磨大師は「知りません。」と答え武帝に失望し去っていきます。
武帝には、仏教に精通していると言う驕りが多少あったのかもしれませんが、功徳を求める武帝と達磨大師のやりとりは、全く噛み合っていませんね。(この後、達磨大師は揚子江を渡り、北魏の嵩山少林寺で面壁九年の座禅を行い悟りを開きます。)
確かに、見返りを求めての親切心ならば、あんがいしないほうがましな気がします。
小さな親切、大きなお世話という事になりかねませんしね。
何事も損得を考えるより、楽しみながら行うことが大切なのかもしれません。
まとめ

気は長く、心は丸く、腹を立てず、
人は大きく、己は小さく。
〜達磨(だるま)〜
人は生活の中で、見返りを求めるから、ストレスが生まれ、苦行のような状態になってしまうのかもしれません。
達磨大師が、理想とした人の在り方を完璧にこなすことは、普通に考えれば、難しい事だと思います。でも一人一人が少し意識してみるだけで、より笑顔の溢れる世界になって行くのではないでしょうか。
気は長く、心は丸く、腹を立てず、人は大きく、己は小さく。こんな心の大きな人間になりたいものですね。