徳川家康の名言・「人生に喜びと栄」をもたらす、偉人の言葉



徳川家康公のこの世の真理を捉えた名言

「人間は、最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄えるものじゃ」

徳川家康

この言葉は、江戸幕府という、平安時代以降、最も平和な時代が長く続く長期政権を築いた、初代将軍・徳川家康公の残した名言です。

とてもシンプルな言葉の中に、この世の真理が詰まっていると感じます。

ビジネスや人間関係など全てにおいて、人類の誕生から、そしてこれからの未来においても「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える」という言葉は不変のテーマだと思います。

家康公は、幼少時代を、今川家と織田家の下で人質として過ごしています。織田家の下で人質として過ごした時期には、信長公との出会いもあり、信長公と家康公の後の絆が生まれたとも考えられますが、やはり人質としての生活は「忍耐」の一言に尽きると思います。

そういった耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ生活の中で、人間の本質を見抜き、達観の境地にいたったのではないでしょうか。

多くの人間を喜ばせた平和な江戸時代

徳川家康公が征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開いた慶長八年(1603年)から、15代将軍 徳川慶喜公の大政奉還によって王政復古が行われた慶応三年(1867年)までの264年に渡る、戦争の無かった、長期政権の江戸時代

驚くべきことに、1801年ロンドンの人口は86万人パリは54万人と推定されており、江戸は、最盛期では人口110〜130万人だった為、世界の都市の中でトップクラスの人口を誇りました。

同時期の識字率でも、イギリス10〜25%、フランス40%と比べ、日本は70〜90%と、非常に識字率が高く、庶民も含め、江戸時代の日本人が、とても勤勉だった事が伺えます。江戸時代に日本を訪れた外国人も驚いた様子が各記録に残っています

私たちがが観察したところ、読み書きが全くできない者は、全体の1%にすぎない。

日本では、召使い女が友人に手紙を書くために、余暇を利用し、ボロをまとった肉体労働者でも、読み書きができることで、われわれを驚かす。

「エルベ号艦長幕末期」 ラインホルト・ヴェルナー(ドイツ(プロイセン)海軍士官)

日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない。

「日本幽囚記」 ヴァーシリー・ゴローニン (ロシア海軍士官)

また、江戸時代初期には、上水道に加え、下水道まで完成されていました。この清潔さが、世界の都市と比べ、江戸で伝染病が少なかった理由でもあるようです。イギリス外交官の記録にも残っています。

手入れの行き届いた街路は、あちらこちらに乞食がいることを除けば、きわめて清潔であり、汚物が積み重ねられて通行をさまたげるというような事はない。

この事は私がかつて訪れたアジア各地やヨーロッパの多くの都市と、不思議ではあるが気持ちの良い対照をなしている

「大君の群 幕末日本滞在記」 オールコック (イギリス外交官)

娯楽面でも、春には花見、夏には花火、秋には紅葉、冬には雪見と四季折々の風情を楽しみ。その他にも、お金を貯めて、歌舞伎を見にいったり、落語の寄席にいくなど、現代にも続く、生活の中の楽しみが沢山ありました。平和な時代であり、生活基盤が整っていたからこそ、育まれた娯楽ですね。

まとめ

江戸幕府は、徳川家康公の「人間は、最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄えるものじゃ」という名言の通り、江戸に住む住人が幸せに暮らせるよう、インフラの整備、教育等に力を入れたからこそ260年に及ぶ世界史上類を見ない、戦争のない長期安定政権を達成し栄える事が出来たのではないでしょうか。

現代に過ごす私たちも、まずは、家族や友人など身近な存在から、そして、その輪をだんだんと広げて行き、少しでも多くの人に喜んで貰えるように気を配りながら日々を過ごすと、幸せに大きく栄えた人生を過ごせるのではないでしょうか。