私たちは、自分自身が人間だから人間の凄さに気がつかないのかも知れない。



人間はどこからやってきたのでしょうか?

私たちは皆、人間であるがゆえに、そのことが当たり前すぎて、人間について深く考える事が少ないのではないでしょうか。

人間は起源から多くの謎が残っています。

私たち現生人類であるホモ・サピエンスは、とても長い時間、ゆっくりとした進化を経て誕生しました。

その進化をさかのぼると、約700万年前のアフリカに出現した最古の人間(サヘラントロプスと推定されている)にたどり着きます。

しかし、この最古の人間にたどり着くと、さらなる謎が生まれてきます。

この最古の人間はどこからきたのかという事です。(大型の類人猿から進化したと考えられています)

人体の不思議

最先端のヒューマノイドも人間には遠く及ばない

進化の過程において、現段階の人間はどのような特徴を持っているのかを考えてみると、神秘的なまでに、洗練され、とても効率的な人の身体も特徴の一つではないでしょうか。

人体は、解剖学的にも生理学的にも、動物界・植物界・鉱物界と自然界が創り出した最良のもので構成されているように思われます。

それは運動機能から生理機能まで、人体は簡潔さと複雑さを兼ね備えた、高性能装置であり、現代のテクノロジーを集結させたヒューマノイドでさえ、身体機能だけを考えたとしても人間にははるかに及ばないという事からもうかがい知れます。

しかも人間は、生理学的なプロセスによって維持されている、単なる肉体ではありません。

人間には精神の働きがあり、推理・記憶・想像を行うことができ、この3つの働きによって、私たちは現在・過去・未来を把握することができます。

科学的な見解によると、この働きを司っているのは、脳という中枢であり、脳を構成している数百億個の神経細胞の働きによって実現されているそうです。

しかし、そうであるとしても物質である人間の身体から、非物質的な現象である思考などが、どうやって生じるのでしょうか?

もちろん脳波には、いくつかの種類があり、精神の活動と対応していることは知られていますが、現在に至るまで、この問いに関する正確な答えは出ていないようです。

意識が人間である証明なのか?

自己意識が人間としての個を存在させるのか?

思考よりも、さらに深い謎に包まれているのが意識です。

どうやら、私たちは意識の働きによって、自分自身と他人を含めた外の世界を同時に把握することができているようです。

個性と呼ばれるものを、一人一人に与えているのも意識の働きです。

自分のことを自己だと感じる意識(自己意識)があるため、私たちは自分のことを、他人と分けた、独立した個人と考えることもできます。

17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトは著書“方法序説”のなかで有名な言葉を残しています。

我思う、ゆえに我あり

ルネ・デカルト

この言葉は、私には意識がある。だから人間として存在している。という解釈もできるのではないでしょうか。

まとめ

1901年にアメリカ合衆国の医師ダンカン・マクドゥーガルは、人が死ぬと体から21gが失われるという魂の重量を計測するための観測を行った事があります

“21gの魂”はその後の脳科学や実験心理学などの多くの分野に影響を与えました。

人間はどこから来てどこへ向かっていくのか考えていたら、不思議に思う事がつきません。

今現在も、人間は進化の途中であると思うと、自分自身も、なぜだか少し誇らしく感じます。

とても長い時間をかけて進化してきたという事なので、私が生きている数十年の間に驚くような進化があるとは考えにくいですが、新たな進化による変化がないかなと今日もワクワクしながら生きています。