豊臣秀吉の栄華大坂城の歴史と謎の抜け穴!?



豊臣大坂城

大坂城は、1583年・本能寺の変の翌年に、羽柴(豊臣)秀吉により築城が開始されました。その後、豊臣秀吉による天下統一の拠点となり、大坂城は「日本最大最強」「三国無双」などと呼ばれましたが、秀吉没後、徳川家康に攻められ、1615年・大坂夏の陣にて落城。栄華を誇った城と共に、豊臣家も滅亡しました。

今も大阪を見守る大阪城豊国神社の秀吉公の像。

徳川幕府による大坂城再築

豊臣時代の大坂城は今よりも大きかった。

秀吉没後、徳川政権に移り、大坂城は二代将軍徳川秀忠の命により、1620年から10年の歳月をかけ再築されました。豊臣時代の大坂城はわざわざ地中に埋められ、64家の大名が動員され石垣も全て築き直されました。

石垣用の石には大名家の家紋や印が刻印された物もある。

大名家の刻印が刻まれた石なども多い、この刻印には、各大名がちゃんと仕事してますよと、徳川幕府への主張の感情も刻まれているのではないでしょうか。

1628年に徳川幕府により再築された大手門

城の正面のことを大手と呼びます。現存する大手口の石垣工事を担当したのは、築城の名手と呼ばれた加藤清正の子、忠弘(肥後熊本藩主)だそうです。さすが重要な場所を任されていますね。

ちなみに徳川大坂城は1665年に落雷で天守を失いますが、徳川幕府の西日本支配の拠点として大きな役割を果たしたようです。

その後1868年戊辰戦争にて、ほとんどの建物が消失しました。

昭和の天守閣復興

豊臣時代の大坂城(大坂夏の陣図屏風より)

明治維新後、大阪城跡は陸軍の軍用地として使用されました。そんな中、1931年に大阪市民の熱意によって寄付金が集まり、現存する天守閣が復興されました。1997年には国の登録有形文化財となっています。

豊臣時代の天守閣を復興

復元にあたっては、福岡藩主黒田家伝来の「大坂夏の陣図屏風」に描かれている豊臣時代の天守が参考とされました。

「大坂夏の陣図屏風」は現在は大阪城天守閣所蔵、文化財となっています。

天守閣最上層の虎

豊臣秀吉の頃からですから、大阪は古くから虎とのつながりが深いのですね。

阪神タイガースのチーム名の由来はこの天守閣の虎からだそうです。

大阪城天守閣内部

大阪城天守閣の中は豊臣時代を学ぶことができる歴史博物館になっています。見応え十分でお薦めですよ。

大阪城天守閣・登閣符

大阪城天守閣復興90周年を記念して制作された「登閣符」。豊臣秀吉の書状内の「大坂」と「城」の文字を採用しているので、まさに豊臣秀吉の文字。中央の印は天守閣大屋根の「桐紋鬼板(きりもんおにいた)」となっています。

  • 大阪城天守閣内売店
  • 販売価格 ¥300

石垣の謎の抜け穴!?

六番櫓(ろくばんやぐら)の石垣の左側中腹に1m四方ほどの穴がありました。もしかしたら真田幸村が大坂夏の陣に際し、何か準備していたのではと想像してしまいましたが

違いました・・・。この謎の抜け穴は、明治以降に陸軍が開けたものと推定されているようです。ただ目的や用途は不明だそう・・・。以前は人が通れるほどの幅があったようですが、現在は、奥2mほどで石垣が崩れているそうです。

答えが分からずモヤモヤしますが、まさに謎の抜け穴です。

まとめ

いくつもの戦乱をくぐってきた大阪城。現在は緑豊かな史跡公園として都会のオアシスとなっています。とても心地よい場所です。

歴史が好きな方もそうでない方も、ゆったりと癒しの時間を過ごせるのではないでしょうか。お散歩やランニングにもお薦めですよ。

  • 大阪城天守閣
  • 開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
  • 休館日 12月28日〜1月1日
  • 利用料金 大人600円 中学生以下無料
  • 駐車場 大阪城公園駅前駐車場 171台(身障者用4台)/森ノ宮駐車場100台(身障者用2台)8時〜22時・1時間350円 22時〜8時・1時間150円 ※障害者手帳お持ちの方 24時間 350円