新潟・私立文化博物館第1号の【北方文化博物館】は優しさに溢れていた!



新潟駅から車で約30分ほど走ると、豪農の館「北方文化博物館」があります。

北方文化博物館は、江戸中期から明治にかけて農商で越後随一となった伊藤家の屋敷を、戦後に私立博物館第一号として七代目当主が完成させました。

越後随一と言われるだけあって、敷地は広く、建物も立派ですが、伊藤家の歴史はとても強く優しいものでした。

伊藤家のエピソードも交えて、ご紹介します!

豪農の館を見る

まずはなんと言っても、豪壮なお屋敷です。

8,800坪の敷地に建てられた純日本式住居が、長年の風雪や、大地震にも耐え、当時の面影そのままに残されています。

入り口
入り口から受付までの道

広々とした空間にたくさんの緑が気持ちよく、優雅な気持ちで玄関まで進みます。入口から玄関までが長いこと!

受付を済ませ、まず目の前にある本邸へ入ります。

台所
実際に使われていた算盤など

本邸は二階建て。とても広いので、どこから回ったらよいか迷ってしまうくらいです。

実際に使われていた台所道具や商売道具などが、きれいに展示されています。豪商だけあって、大きな帳簿が何冊もありました。

二階には新潟で出土した縄文時代の火焔型土器なども展示されており、新潟の歴史にも触れることができます。

二階からの景色

庭園

回遊式庭園

本邸の大広間に面しているこの庭は、京都・銀閣ゆかりの庭師である田中泰阿弥によって造られたそうです。いつまでも眺めていられる、本当に美しい庭園です。

私が訪れたときは雨が降っていたのですが、それがまた風情があって、しばらく時を忘れていました。

そしてこの庭にはあるエピソードがあります。

現館長である伊藤さんが中高生の頃に道路を歩いていると、行き交う人みんなにお辞儀をされたそうです。「伊藤家のお坊ちゃん、あなたの家のおかげで、私たちは一家心中せずにすみました。本当にありがとうございます」と言われた。八代目は祖父に「いったいどういうことなの?」と尋ねたそうです。

すると、「たぶん築山のことを言っているのだろう」という返事でした。築山というのは、屋敷の中に築いた高さ三・五メートル、幅が十メートルほどの小さな山ですが、新潟に飢饉が三年続いた際、飢饉になったら蔵のお金を全部吐き出すこと、必要がなくても増改築などの普請をして困っている人々を救いなさいという「飢餓普請」の考え方に基づいて、三年半かけて造ったものだそうです。

小林正観『淡々と生きる:ー人生のシナリオは決まっているからー』(風雲社)

そして、少しでも長く働けるように道具は一切使わずに、また、お年寄りから小さな子どもまで、等しく一人前の給金を払ったといわれています。

他にも、1964年の新潟地震の際には、家が倒壊した近隣住民をこの屋敷に住まわせたり(伊藤家は屋根瓦一枚も落ちなかったとか)、いざというときにお金を分け与えたりなど、ただの豪商でなかったことが伺えます。

奥に見えるのが築山かな?

他にも見どころたくさん!

樹齢150年の藤棚

北方文化博物館の見どころは、本邸だけではありません。

本邸前にある立派な藤棚や、ハス池、歴代当主が収集した美術品が収められている集古館などがあります。

たくましい藤の木

また、伊藤家の「お屋敷」から「博物館」に発展させるにあたって、伊藤家の為でなく、日本人の為に保存するため、新潟県内から移築した古民家なども保存されています。

さらにはおみやげ処からお食事処まであるんですよ。

大日如来像

この大日如来像は、五代当主が手植えしたとされる樹齢350年の赤松が枯れてしまった際、八代当主によってつくられました。

「自分の代で伐採するのことになり申し訳ない。せめてこの赤松で如来様をつくり、残した下部を祠にして安置することがご先祖様への供養になる」との思いからできたものだそうです。

築山の話もですが、ただの博物館として遺構を見るだけでなく、伊藤家歴代当主の思いや人となりに触れることによって、この場所がより一層心に残る気がします。

まとめ

いかがでしたか?

北方文化博物館はとても広く、今回ご紹介できなかった場所もあります。また、季節によって、また風景も大きく変わってくると思います。

ぜひ実際に足を運んで、新潟の歴史、伊藤家の歴史に触れてみてください。自然豊かな敷地にも、心癒されますよ。

  • 北方文化博物館
  • 〒950-0205 新潟県新潟市江南区沢海2丁目15-25
  • ☎︎ 025-385-2001
  • 開館時間:4〜11月 9:00〜17:00 / 12〜3月 9:00〜16:30 〈年中無休〉
  • 入館料:大人 800円 / 子ども 400円
  • 無料駐車場あり(普通車400台)